第三者と六月   こばやしぺれこ


 猫又だ。
 そうつぶやいた瞬間、こちらを振り仰いだまん丸な目に射抜かれた。秋の夜空に浮かぶ満月のような、見事な金色。
「すいません、少し手伝っていただけませんか」
 真っ黒な毛皮に満月色の目をした猫又は、俺よりも丁寧な言葉使いをしていた。

 今どき珍しい公衆電話は、その周囲を自転車に取り囲まれていた。おそらくこのすぐ近くにある駅を利用している者のせいであろう。きちんと整備された駐輪場はあるのだが、そちらは有料だ。ここにある自転車の持ち主は、たかだか数百円を惜しむ者たちだ。ただ、明らかにもう長いこと放置されている風情のものもある。そちらはもう少し高い粗大ごみ料金を惜しんだ者なのだろう。
 どちらにしろ、公衆電話を使いたい者にとって迷惑千万であることは変わりない。

「助かりました。ありがとうございます」
 自転車の隙間から公衆電話を使い終えた黒猫又は、深々と頭を下げた。何とはなしに電話を掛け終わるまで待っていてしまった俺は、立ち去るタイミングを失って黒猫又を見下ろしている。
 黒猫又は俺の腰よりも低い位置に頭がある。真っ黒な毛皮は艷やかで、たいそう手触りが良さそうに見える。シンプルな白いエプロンを身につけ、がま口のポーチを肩から掛けている。先程公衆電話に投入した硬化は、そのポーチから取り出されていた。
「なにか?」黒猫又は俺を見上げて首を傾ける。

 猫は何度も見たことがある。しかし猫又を見るのは初めてだった。
 正確には、『生の猫又を』だが。

 語尾に「にゃ」って付かないんですね。ふと湧き出た疑問は、そのまま口をついて出ていた。
 言ってしまってから後悔する。この疑問はあまりにも失礼ではないだろうか。
 一気に冷や汗をかく俺とは対象的に、黒猫又は涼しい顔をしていた。
「あれはテレビ用の口調ですよ。もしくは、人の言葉に慣れてない若い猫又です」
 俺が思い描いているものを、黒猫又は正確にトレースしているようだ。

 猫又アイドルねねこ。『猫又』と言われた時にまず思い出すのは、この存在だろう。
 その真っ白な猫又は、テレビや映画、雑誌など様々なメディアで見ることができる。宝石のようなブルーとグリーンの色違いの目を持つミステリアスな容姿に、愛らしい仕草と言葉遣い。老若男女問わず、彼女は人々を魅了している。

「猫又の認知度が上がったのはありがたいのですけれど。みんながみんな、『ああ』ではないのです」
 期待はずれでしたら申し訳ないです。黒猫又はそう言って先程よりは浅く頭を垂れた。
 いえ、こちらこそすいません。俺は黒猫又よりも深く、頭を下げる。
 日本人といえば忍者なんだろう? と言われた過去の人々は、きっとこの猫又と同じ気持ちだったのだろう。
「いえあの、わたしも人といえば、みんな黒猫がお嫌いなものだと思っていましたので」
「そんな」ことはない。と続けようとして、俺は黒猫にまつわる様々な事柄を思い出していた。――確かに、黒猫は不幸だとか不吉だとかの代名詞かもしれない。
 言葉に詰まる俺に、目の前の猫又はなにを思ったのだろうか。
「でも今は、そんな人ばっかりじゃないってわかってますから」
 お気になさらず。とでも言うように、顔の前で小さく柔らかそうな手を振った。
「それなら、良かった」
「ええ。大丈夫です」
 黒猫又はもう一度俺に会釈すると、駅前の雑踏にまぎれて行った。

 俺は以前夜のニュースで取り上げられていたある猫又について思い出していた。
 猫であった頃の飼い主と死別し、一人で生きていかなければならなくなったある猫又。彼(または彼女)は、人間の何分の一かの賃金で働かなければならなく、一人で生活することすらままならない状況だった。
 誰かに『飼われる』ことが前提の賃金。それでは生活できないが、猫又の中には人に飼われることなく自立していくことを目標とする者も多い。それは過去の飼い主を悼むためであったり、人に不信感を抱いているためであったり、猫又により様々だ。
 猫又は元々は猫だ。でも猫又は、人と同じ感情も意思もある生き物だ。彼らの地位向上についてが、そのニュースの焦点としてまとめられていた。

 会社の先輩が、そういえば猫又と暮らし始めていたな、と俺はまた思い出している。
 彼女に猫又との生活について聞いてみようか。俺は自宅への道を歩きながら、考えている。





こばやしぺれこ
作家になりたいインコ好き。いろいろ画策中

実際に会ってみるのといろんなメディアで見るものと、って違いが大きかったりして面白いですよね